ブッダガヤ(ブッダの市の意)は、ブッダが悟りを開いた場所としてあまりにも有名です。世界遺産にも指定されました。
まさに、仏教徒にとって、最大の聖地と言っても過言ではありません。
ビハール州のガヤー市の南方13kmのナイランジャナ―河(尼蓮禅河)の近くにあります。
ブッダは、カピラ城から出家した後、ブッダガヤ(当時の名前は、ウルヴェーラー)近くの前正覚山で、糞掃衣(ふんぞうえ)を纏い、断食と沐浴を繰り返す、苦行を積みましたが、苦行では何も得られないと悟り、その麓にあるセーナ村でスジャーたから乳粥をいただき、尼連禅河(ネーランジャラー河)を渡り、ブッダガヤの菩提樹の下で、悟りを開いたと伝えられます。
悪魔が、修行をやめさせようと様々な誘惑を行いましたが、降魔により、様々な誘惑を退け、悟りを開いたと伝えられます。
出家してから、既に、7年が経過していました。
ベナレスから車で5時間ぐらいだったでしょうか。 まずは、ブッダガヤ近くのホテルにチェックインしました。 ここでは何と日本食がいただけました。それから、1週間、インド料理のみで過ごすことになるとは、その時は、思っていなかったのですが。 ホテルから、ブッダガヤの大塔が見えました。 |
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ブッダガヤーの大塔はすぐそこです。 今回訪れた仏教聖地の中では、間違いなく一番賑わっていました。 土産物屋も多く、立派なタンカ(チベット僧が巡礼に来ると、お金がないので、その代わり、精根込めて描いたタンカを置いていくのだといいます)を、GETしました。 そのタンカについては、おまけコーナーで紹介しています。 |
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高さ50mの祠堂は、ブッダガヤのシンボルです。 玄奘が訪れた時はすでにあったといいます。ただ、何度も修復されており、その姿は、ずいぶん変わっているかもしれません。 ヒンドゥ教神殿様式で、9層からなる精舎です。 最初の精舎建立は、紀元前245年のことです。当初は、悟りを開いた菩提樹の周りに欄干を囲んで、精舎が創建されたようです(出典:『インド佛蹟巡禮』)。 635年に、玄奘が訪れた時には、すでに現在のような大塔があり、サムドラ・グプタの建立したものと伝えられています。 13世紀に、アフガニスタンのイスラム軍団が攻めて来た時、土で覆って小高い丘と擬装したため、大々的な破壊から免れたといいます。 1880年に、カニンガムにより、大規模な調査発掘がなされ、1884年に復旧工事が行われました。 |
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入り口に向かっては下っていく感じになりますが、異教徒の破壊に備えて一時埋められたといいます。 | |
大塔の周りには、小塔が4つ取り囲んでいます。 | |
ブッダは、7週間に渡って、ここで瞑想したと伝えられており、瞑想されたとされる場所に案内板がたてられています。 | |
大塔前の門。 | |
いろんなところで、仏像達が祈りを捧げています。 | |
凄い迫力です。 | |
大塔内部の、中央のお釈迦様。 東南アジアの仏像にも通じるグプタ朝時代のものでしょうか。 『インド佛蹟巡禮』によると、パーラ朝の9世紀から10世紀のものとのことです。元来は、黒石の作品だが、2500年大祭の際、黄金に彩られたといいます。 |
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創建当時の石も残されており、何か文字が書いてあります。 このままだとすり減ってしまうと思いますが、いいのでしょうか。 |
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壁を飾る仏像。 | |
珍しいポーズの仏像です。 | |
欄干も一部当時のものが残されています。 まだブッダが描かれておらず、かなり古いものであると思われます。 『インド佛蹟巡禮』によれば、カニンガムによって復元された古代彫刻の欄楯は、92本残っていますが、内40本は、破損して彫刻も見られず、28本は、シュンガ王朝時代もので、他の24本は、グプタ王朝時代のもので、作風も異なります。 オリジナルは、現在考古局の博物館に移されたということなので、私の見たものは、レプリカなのでしょう。 デザインは、連続的な物語ではなく、仏伝、ジャータカ物語、蓮華の中に人物や動物を描いたものなど単純なものですが、ギリシャ神話に出てくるケンタウロスや有翼の獅子、人面の獅子など、古代オリエントひゃギリシャ、ローマとの交流を物語っています。 |
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壁一面、仏像のレリーフが埋め尽くしています。 | |
有名な仏足石ですが、直接触る人が多いためか、ガラスのケースで覆われていました。 ちょっと残念でしたが、摩耗してしまうよりは、ましでしょう。 訪れるインド人は、ほとんどがヒンドゥ教信者ですが、ブッダは、ヴィシュヌ神の化身の一人と考えられており、みな真剣にお祈りしています。 |
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金剛法座。 ブッダは、35歳の時ここで悟りを開いたと伝えられています。 昔の写真には、柵がありませんが、今は、柵が設けられていて、あまりよく見ることが出きません。 ガイドさんが、ここでお祈りしたいですか?と聞いてきたので、御布施をすれば、中に入れるかもしれません。 かつては、あの麻原彰晃も、ここで、座禅を組んだといいます。 |
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柵の隙間から、金剛法座を覗いてみました。 お花が供えられています。 悟りを開かれた時、大地は、鳴動しましたが、この法座はびくともしなかったといいます。 『インド佛蹟巡禮』によれば、金剛宝座は、アショカ王時代のマウリヤ様式を伝えており、紀元前2-3世紀の作と推定され、東西135cm、南北228cm、厚さ15cmほど。上面は、幾何学文様で、三角形の文様は、鱗文様の魔除け。側面は、鷲鳥や忍冬文様の浮き彫りで埋められており、ブッダガヤーの遺跡では最古のものです。 柵越しにしか見れなくて、ちょっと残念でした。 |
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これが、ブッダがその下で、悟りを開いた菩提樹です。 諸説あるようですが、ガイドさんの説明では、1本目の菩提樹は、アショカ王の奥さんが切ってしまい、2本目の菩提樹は、ササン朝の時切られてしまい、3本目も、台風で倒れてしまったが、その枝から今の菩提樹が育ったとのことでした。 『インド佛蹟巡禮』には、まったく違う話が紹介されています。当初の菩提樹は、6世紀初めに、に廃佛を行ったベンガル王シャーシャンカルにより燃えてしまったが、1880年、カニンガムが焼けた根株を発掘し、その場所に、スリランカの古都アヌラーダプラの菩提樹の直系の実生を移植したものだそうです。 このアヌラーダプラの菩提樹は、前に見に行ったもので、スリランカのページで紹介しております。 ちなみに、インド菩提樹は、クワ科の常緑性高木で、榕樹の一種で、日本やヨーロッパのシナノキ科の菩提樹とは全く違います。 |
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大塔の周りには、祈りの場が設けられています。 | |
大塔を見上げてみました。 | |
横には、仏塔が並んでいて、各国から来た僧達が、瞑想しています。 | |
中でもチベット僧が一番熱心なようにも見えます。 | |
綺麗に装飾されている祠堂。 | |
大塔の周りに4つの塔が立っているのがわかります。 この構造は、アンコールワットと似ています。ヒンドゥ教の影響があるのでしょうか。 |
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アショカ王の石柱。 残念ながら、柱頭は、発見されていません。 |
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ムチリンダの池。 中央の蛇がムチリンダ(蛇)で、ブッダが瞑想中、その体を傘のようにして、ブッダが雨に濡れないように守ったといいます。 ここでも、ブッダは1週間瞑想しました。 実際の、ムチリンダお龍王の伝説地は、大塔の南3kmにあります(『インド佛蹟巡禮』)。 |
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大塔全景。 正面から逆光になってしまったので、反対側から撮ってみました。 |
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塔の周りは、回廊のようになっていて、綺麗に整備されています。 | |
美しい花が咲き誇ります。 | |
ブッダの悟りを祝福するようです。 | |
アショカの木が植樹されていました。 1年中緑であることが特徴だそうです。 |
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ここでも瞑想されていました。 | |
大塔の後ろから光がさして、後光のようです。 | |
ブッダガヤを出てから、セーナ村に向かいました。 ネーランジャラー河に水は見えません。 ボロボロの橋が、セーナ村へ運んでくれますが、欄干が、それぞれインドらしい派手な色で、装飾されています。ガードレールはありません。 当然、ブッダの時代に、橋そのものが、ありませんでした。 |
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セーナ村に着きました。 ブッダの時代とそう変わらない生活振りです。 地元の人は、スジャータの伝説を誇りとしているそうです。 スジャータは、バラモンの娘で、男子に恵まれるように、毎日牛乳をニャグローダ樹に捧げて祈願をしていました。ところが、その樹の下で瞑想する修行者を見て、樹神の化身と思い、乳粥をつくって供養したと伝えられおり、この修行者こそが、悟りを開く前のブッダでした(『インド佛蹟巡禮』)。 |
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スジャータの仏塔と言われていますが、規模の大きいものです。 | |
セーナ村からは、前正覚山がよく見えます。 ブッダが修業したところは、この山の中腹と言われています。 |
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干からびたネーランジャラー河の向こうには、ブッダガヤの大塔が見えました。 ブッダは、何もないブッダガヤに何を見たのでしょうか? |
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セーナ村には、ヒンドゥ教寺院がありました。 | |
そのヒンドゥ教寺院に、ブッダが、スジャータから乳粥を施された場面(乳粥供養)が再現されてました。 乳粥は、砂糖を密を加え、牛乳で似た粥らしいですが、帰国後、ガイドさんと、東野さん、出川さんが、当地を訪れ、乳粥をいただいたDVDを見て(何と市販されていました)、様子がわかりました。 |
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その奥に、さらに祠堂があって、もっとわかりやすくブッダがスジャータから乳粥を施された様子が再現されていました。 まさに、ここがブッダが悟りを開く寸前に滞在した場所なのです。 |
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ブッダガヤの宿泊ホテルに戻ると、日本の寺が目の前にありました。 沈むゆく太陽を背景にすばらしい大仏です。 この辺りは、国際仏教センターと呼ばれ、仏滅2500年大祭の際、ネール首相の提案で、建設が始まりました。 岡倉天心も、当地に当センター設立を提案しましたが、当時は、採用されませんでした(『インド佛蹟巡禮』)。 |
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日本寺の本堂。 ちょうど、読経の時間でした。 |
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日本寺には、仏塔や、御堂が並んでいました。 | |
近隣には、各国のお寺が並びます。 これは、ブータン寺院でしょうか。 |
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ホテルから、大塔を見たら、ライトアップされていました。 感動です! |
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ブッダガヤ近郊のガヤ。 大きく見えるのがヴィシュヌ神のお寺であるヴィシュヌバット(ヴィシュヌの足跡)。 お盆の風習の元祖らしいです。 |